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yuuの一人芝居

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創作秘話 「ふたたび瞳の輝きは」

 創作秘話 「ふたたび瞳の輝きは」

この作品は、「あの瞳の輝きとわに」続編として戦後の焼け野原で生きていく子供たちの姿を書いた。私も其の世代に其の中にいたので是非書きたかった。
 あの瞳の…の女教師は登場させているが戦後の日本の現実を書くことで、其の中で生きた子供たちの事を書くことに専念した。
 子供たちはどんな境遇にいても、明るく、笑顔を忘れず、瞳はきらきらと輝いていた。そこには子供としての未来に対しての夢と希望が満ち満ちていた。食べるものがなかったから腹をすかしていたが、これから何が始まるのかと言う好奇心はあふれていた。
 戦争が終わって自由になれたというのではない、爾来子供たちが動物として持っている生命力を遺憾なく発揮していたのだ。何ものにも恐れず逞しい、まるでライオンの子のように悠然と構え未来を見据えていたと言える。
 戦後は酷かったという言葉をよく聞くが、子供たちに取ってそれは的確に該当するだろうか。自然が何の力も必要とせずに再生するように、人間は其の生命力を持って立ち上がる事を知っていた。これは古代から、戦火の中で生きてきたすべての人達にも言える。
 この公演には五十人に及ぶ出演者がいる。その人たちに戦後の悲惨な生活を演じさせるつもりはなかった。それは一つのエピソードとして入れた、テーマを盛り上げるための、専門用語でいえば反貫通行動、戦争で打ちひしがれる姿をそれに使い、子供たちがいかなる環境の中にも友情が芽生えそれは永遠に続くと演じさせた。
 肉親との離別はさらなる社会の中で生きる活力を生むものだと叫ばせたかった。
 出会えたことの素晴らしさを感じてほしいという思いを持ってくれと切望した。
 人間なんて小さな物でこの地球の中ではなにの役にも立っていないのだから、まず、自らを律し前に進み、何が本当に必要なものかを見つけよ。と言いたかった。
 子供たちの生き方、そこに友情を生む素地があること、時間と偶然が結びつけた人と人との出会い、それは人知では測れない奇跡なのだ、其の奇跡を大切にし、感謝してはどうかといいたかった。
 どこにいてもどんな暮らしをしていても生きることには変わりはない、ならば、人として最高を目指そうではないかといいたかった。 
 この作品を書いたのは五十代の半ば、演劇人会議の実行委員、篠田正浩監督の映画製作に参加、新聞にコラムを、小説を連載していた時、子供たち五十人と演劇を作っていた時、私は其の時間を充実したものとして過ごした。
 そんな中、この作品は二時間もの、一晩で書きあげている。
 この後、大変に忙しい時を経て、子供たちを卒業させ、演劇人会議を「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」として立ち上げ発足させ、総ての物を一区切りつけ、六十にして総てを捨てた。
 総ての作品には思い出があふれている、花盛りとは言えないが心に一輪の花を咲かせたということであれば本当にうれしい。
 今、この世の中に、戦後拾ったものを捨てた時代をもう一度考えてみて拾えるものがあったら拾う事を勧めたい…。
 それは、限りなく崇高な友情と言う宝石だと断言できる。
 あの夕陽に真っ赤に焼かれた田舎の駅舎の庭にそびえる銀杏の姿を今も思い興し銀杏に恥じない生き方が出来たのかと自問自答しているのだが…。


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